繋がれない事に気づく事で、繋がれるようになる。
誰かが望むことを一生懸命やったり、約束を守ったりすれば、その人と繋がれる、関係性が安定するんだと、思い込んでいた。
子供の頃、よくやってたこと。
そして今も無意識にやっていること。
相手が望むことをして、喜んでもらえれば繋がれているんだと、本当に思っていた。
でも、それって深さがない。。。
子供の頃に、親にばっさり関係を切られるような事を言われていた経験があったので、
もう傷になって再起不能。
形は一応やるけど、もう、自分の中では関係なんてそんなもんなのかと、それが例え家族であっても、そんなもんでしかない、ということを学んだなー。
目に見えるなにかを、相手が望む何かをすれば、関係性をきづけるって、うそ。
人間なんて、誰もがそれぞれの観点の中で、観点に固定してそれぞれの解析で物事を認識しているので、共通の土台がない。
共通の土台がない、人間の限界。
言語が共通土台になるわけではない。
同じ家に住んでいるから、同じ会社の同じフロアで働いているから、同じプロジェクトをやっているから、共通土台になるわけじゃない。
自分の観点をこえて、自分と自分の宇宙が消える事。
そのイメージ不可能、認識不可能、感じる事が不可能な領域に到達した時に初めて、共通土台が作られる。
始めから繋がっている事、今ここ繋がっていることを認識できることで、
安心して繋がれる。人と出会える。